テキサス州 エルパソ レース珍道中 物語 Ver1.0.5.09
2014年4月25-27日開催された、自閉症協賛レースに私含め日本人4人がレース参加した様子を伝えます。 製作: ひろゆき
登場人物:TokyoのYoshiyaさん、福岡のKatsuhikoさん、柳川のRyujiくんと、私こと"H"の博幸くんで、それぞれY,K、R、Hとします。 4月22日(火曜日) 九州組は7時20分の福岡から成田行きの飛行機になります。成田でYさんと合流してアメリカへ旅立ちます。 Kさん遅いね〜と、R君と話していると携帯が鳴り、Kさんから『今どこにおると?何階にいると?』 私達は国内線の1階搭乗手続きロビーで荷物の検査、搭乗手続きも済みそこで待っていました。 『えっ2階にいると? 1階で待っているよ』と、ちょっと話が見えない会話をした・・そしたら また電話が鳴り『今、1階に来たらだれもおらん?』えっ!!そこ、どこにいると???? なんでも彼はタクシーに『アメリカに行く』と告げ福岡空港国際線ビルで降りていました。 そこからタクシーでまた移動して30分前に手続きをすることができました。 私達は2階の出発ロビーに上がり私はお世話になっているアメリカ人のおみやげに『博多通りもん』を2個購入して ゲートに向かいました。彼らはレストランでコーヒーとRくんは朝食と言って別れ・・・ 出発時間が迫っているので携帯電話で『先に入っている』と告げ、機内で待っていると彼らはなかなかきません JALの方も放送等で呼んでいるみたいですが彼らだけ来ません。 以前Rくんと、神戸のフェリー乗り遅れた経験が有ります。時間が有るので近くの居酒屋で飲んで『もう行こうよと』 言ったけど『Rくんは全部ボトル空けないと、まだ大丈夫ですよ大熊さん』出発5分前にフェリー乗り場に着きましたが すでにフェリーは岸壁を3メートルほど離れていました。結局、陸路で九州に帰郷するはめになった。あの時はしんどかった。 お〜ぃ、どうなってるの彼らは、JALが待つにも限界か『もう駄目かもしれない・・』 『もう、しらん』と思ったら矢先、彼らはが機内に入ってきた。 アホか!!!!!。 なんでもまだ時間が有ると思ってそうで。。。。。。。そんな訳でこの先が・・・・ 画像の左で紹介、Kさん、Yさん、”H”と右態度のでかそうなRくん、ちなみな私は彼を大仏さんとか呼んでいます。 成田で、アメリカ行きの接続時間がかなりあるので、用意していたトランプで『ブラックジャック』をすることに、コインはマッチで代用する。 胴元は”H”が務めた。 誰かをカモにして飯代稼がねば・・・この場合おとなしそうなYさんか人のよさそうなKさん、あたりがよろしいかと・・・・ Rは1本1万円でいこうと叫んで、旅費を稼ぐとかほざいていた。けっきょくイーブンで終わり勝ち負けなしで出発時間が来た。 同じ日のアメリカ 米国のロサンジェルス空港で最初の難関の入国審査と税関検査を無事に抜け、テキサス州エルパソ行きの小型飛行機に乗った。 飛行時間は1.5時間ぐらいで、ちょうど福岡と東京の距離ぐらいです。 空港で手配していたミニバンのレンタカーを借りてホテルへGooooo!最初の運転は”H”がした。 チェックイン後、大量の荷物をホテルの部屋に運び入れたころは夕方になっており、 事前に計画した道具類を購入しに街へ皆で出かけました。運転は”H”で3軒のツール屋さんに行ったが、気に入った工具セットが 見つからず、しかたなく最低限必要なインチサイズのスパナを購入した。 ウォールマートとゆうスパーマーケットでミネラルウォーターとメキシカンビール24本セット購入したが水以外はあまり消費しなかった。 ホテルに帰る途中でYさんに運転を変わってもらい、アメリカでの運転を慣れるために教官はRくんが付いた。 彼は今年ラスベガスのレースに出るので自力で行動しないといけないので教習訓練がわりに、 これ以降、帰国前日まで『お抱え運転手役』をYさんは務めるはめに。まっいいか。でも訓練は厳しいございました。 道中、腹が減ったのでベトナ料理店に行こうとしたが見つからず、中華のバイキング店に入りました『リー』とゆう店で あんまり美味しいのがなかった。 ホテルに着くと誰が言うこともなく、梱包を解体しボートのセットアップを始めた。 画像では明るそうに映っていますが実は暗いです。アメリカのホテルは照明は暗くセットされているのが一般的です。 私の計画では初日は『ゆっくり酒でも飲んで休み、次の日にセットアップするのがベスト』で夜はしないと思っていました。 最初は私だけ何もしないで眺めていましたが・・・・みんなが一生懸命やるので、しょうがない自分もやるかと遅れて始めた。 1番明るい場所を選び、作業台替わりのボックスでエンジンの組み立てだけやった。ボートのセットは明日に持ち越し、無理しない。 皆はエントリーが少ないので初日に全部セットアップを完了した模様でしたが・・・後でいろいろとトラブルが。 良く見ればわかりますが、R君が1番良いところを陣取っています。 ☆強いものが勝ち パチパチ☆ なんでもRくんは次の日は『お土産』ショッピングを計画していたので、セットアップを、本日中にしたかったそうで・・・ 4月23日(水曜日) ホテルでは無料のブレックファースト(朝食)が用意されています。これをいただき街を散策とお買いもの 私は『お土産等は夜でも購入できるので先に私のボートのセットアップが・・』と思いつつ、皆で出かけるので私も一緒にGoooo!! Kさんの事前調べでダウンタウンと思われる場所に移動、でもそれらしき場所になかなか、たどり着けません。 何だけあやしい所を行ったり来たり・・・・そうこうしているうちにレース会場付近を通過した 私は古着屋が近くに有りことを思い出し、そこの古着屋に誘導した。 Rくんは精力的にお買い物・・・・・がしかし、彼は英語が全く判りません、身振り手振りです。 そしてこれが最後までの問題点が発覚しました。 Rくんはドル紙幣を持たず10数年前に購入し余っていたトラベラーズチェック(旅行小切手)のみでした。 アメリカに行く前に私に聞かれた『トラベラーズチェックは使えますかね ? 』たぶん良いんじゃないのと軽く答えたが・・・・ 現実には私もここ十年使うことがないし、だいたいカード決済が主流ですね今は。 彼が並んでいるレジではどこでも長い行列が起こります。 ですから外で我々も長い時間待たされます。 ほとんどこの辺で使われることがないのでマニアルを見たりの応対も有り、もちろん断れることは半分あった。 時には最後には『これは受け取れない』とか、最初はOKとか言っていても、すでに言われた通り受取先書いたし、 サインもしてるので他の店では使えなので、交渉して解決しないといけない。 私の記憶では、スムーズに受け取ってもらった場所はレース会場の会計のおばちゃんだけでした。信用が有るの・・・ で先ほどの古着屋に戻ります。 あまり遅いので店内に行くと彼は一生懸命汗をかき『パンツ1枚になって』カートいっぱいのジーンズを試着して選別していました。 レジは行列ができていましたので『大熊さん〜列に並んで〜場所確保して!!!』と叫んでいたが 冷たく『バカヤロ〜自分でしろ。』と言って無視して店を出た。 車の中で待っているとKさんが『気長に待とうや〜』と言っていました。10分後Yさんに偵察に行ってもらい、聞くと 『あの列ではまだかかる』と報告した それを聞いた私はキレた!『歩いてホテルに帰る!』叫んで、 KさんとYさんを残し、『バターンn』と車のドアを閉めホテルの方角に歩き始めた。 『俺はこんなことの為にエルパソに来てるんじゃない!』、やっぱり『ホテルに残るべきだった』と後悔した。 ホテルまでは車で10〜15分の距離ですが、歩きたくなかったのでUーターンして車に戻ると Rくんが『遅くなりました〜』と言って袋一杯の服を抱え戻ってきた。 結局カードも使えず、現金しか受け取らないので再度様子を見に行った『Yさんから50ドル借りて』済ませた。 まっ換金ショップも兼ねていますので現金でしょうね、こんなところは盗品も有りでしょうからエルパソは特に。 そこで『お〜遅かったじゃないRくんと叫び、『Rくんの為ならいつまでもOK』と私はと言ったら Kさんが『大熊さん裏表が激しい〜』とマジで言った、それから『気が短いね〜』とも付け加え、『ハイ長くは有りません』と答えた。 Rくんは私が歩いて帰ると言ったことをまだ知りません。 『お買い物はなるべ別々の行動が1番良い気がした』特に海外では興味が有れば時間をかけ選びたいものですからね。 それからレース会場が近いので下見に行き『お〜ここか!!』て感じで散策した。 なんでもYさんは『受信機のバッテリー』を持って来るのを忘れたと発言した。何!!! それやったら昨日のセットアップの時点で『発狂してい、大声が出る』はずなんですが、彼はアメリカでもクワイェト(静か)と最後の方は呼ばれていた。 ウ〜xム、今まで黙っておくなんて信じられません。 地元の模型屋さんにGoooo!! 店に着くとレジーバーバッテリーxxxと彼は言ったけどよく理解してもらせず、ボートに使うと説明したら 奥からボート解る奴が出てきて、『お〜”H”』と呼んで握手、彼は昨年のレース会場で私を知っていた。 そこでレース期間中の天候の情報を聞いた、なんと明日のテスト走行は最高のコンデションだがだんだん風が出て 我々のエントリーしている『土日は強風が』だそうだ。それを聞いたRくんは超嬉しくなり 『大熊さん勝ちに行きますよ〜』と叫んだ。 我々はどうなるの?クソ〜。 それもそのはず、彼のリガー艇は大型で波に強く、アメリカでは化け物サイズです。 遅い昼食をスポーツバーで取っていると突然『バチッイ〜n』と音がして停電した。食い逃げOK状態が続く 我々は最初のオーダーのビールとおつまみしかきていないので、まだ『腹ペコ』で・・・・帰れません。 消防車も駆けつけました。約30分ぐらいして復旧したが、料理は作り直しなので時間がかかるのでベトナム料理店に行く。 もちろん飲んだ分は支払って店を出た。 夜は近くのウォールマートに買い物して店に有るマックでハンバーガーをテイクアウトしホテルでビールとで遅い夕食。 Yさんは結局、送信機のバッテリーも忘れていてKさんから予備のバッテリーを借りていた、何!充電器だけは持ってきたそうで ちなみに私は充電器は持っていきません不要です。 画像の左は古着屋さんが入っている駐車スペースで、待っている暇なKさん、会場のレイク、停電の店、アメリカの消防車 夜は、遠く離れたカジノにGooou~、ココでしたらトラベラーズチェックをドル紙幣に簡単に換金できると思い夕食兼ねて行ったが、 ココでも行列ができ$50X4枚の200ドルを現金したのが、せい一杯で、『もう無理ですトラベラーズチェックは』と結論をだした。 いつの間にか時間も過ぎレストランも締まっており、しかたなくホテルに戻りました。 4月24日(木曜日)テスト走行日 本日はエントリーのサインアップと練習走行は夕方までOKです。 米国の参加者からテーブル2つ、テント1つ、ボートスタンド4つ調達でき、本部席に近い所のピットエリアが確保できた。 条件的には全く問題がないが所を頂きました。 大体よわ虫くんたちは端へ端へと追いやられるのがレース場の雰囲気です。 私は4艇のセットアップがまだ残っておるので作業に集中していたら、 YさんのCAT艇のエンジンが何度も引っ張ってもエンジンがかからない様子、最後はR君が少しどれどれと見ていた。 私は横目で見ながら『スロットルは開いている〜』と問いかけたら ハイ!との返事 それでもエンジンがかからないので見に行って彼のプロポのスロットルトリガーを握ると全閉状態でキャブスロットルが まったく動きません、『なんじゃ〜』。これじゃ始動しませんね。 私は大声で『だれか〜今スロットルは開いている〜言ったやつは』と回りに聞こえるくらい叫んだ、解っているけど・・・つまり発狂した。 エンジンはもちろんブォ〜nと音を出し始動した。 興奮を押さえ、自分の作業に戻ると、こんどは池の方で『ガチャ〜n』と音が・・・その方向を見ると、 エンジンがかかっている状態で、砂利の上にYさんのCAT艇が鎮座している。 たぶん青ざめたと思います。しようがありません 今からでも十分時間が有りますので全力で戦えるまで『修復開始!』 と祈りつつ自分のことに集中した。 Yさんが各部の修理とペラの修復をKさんが手伝う。 私はボートのサンデェング作業をする為、 ホテル到着日にYさんに渡していた『リペアキット(サンドペーパ、グラステープ、グラスマットetc)下さい』、と言ったところ、 持ってきていないとのこと!!! 彼はよくボートを壊すので万が一の為日本から持ってきていたのですが・・・会場に持ってこないと意味が有りませんね。 ホテルに帰るとそれらは、ルームサービスの係りがゴミと思い、きれいに無くなっていた。 『こんなところに置くとゴミと間違えられる』と大熊さんが言っていたと、Rくんが言ったが時すでに遅し。あ〜u Kさんのモノ艇は第1投目の走行では早く、Rくんが『いいじゃないですかKさんと』言っていた。 ただし異常にエンジンが熱くなると・・・・報告を受け、私は少しばかりアドバイスし点検してもらったが不明でした。 とりあえず良く走ってるみたいで私は安心した。 Rくんはリガー艇とモノ艇のエントリーで2艇走行テスト、と調整しないといけません。 彼は不調の原因を見つけるの早いです、疑われるところは確認し、即つぶしにかかります。 彼は夕方にはほぼ満足いくセットアップを完了した。 私の走行テストは昼過ぎの3時ころからしかできなかった記憶。いろいろとやることが多くて。 修復終わりYさんがテスト走行始めるが『どうしてもうまく走れない、エンジンが回らない』と、 いろいろと試したがダメとの報告 良く見るとフランジ付近からオイル漏れ、O−リングセット間違いと、調子には直接関係ないが パイプバンド取り付けミスを指摘、それらをやり直して再度走行テストしたが・・・・・・・・・・・・・・・・・全く駄目な様子で 『大熊さん、後で作業終わったら見て下さい』とさじをピヨ〜nと投げた、 ガチャ〜nと頭に当たりました。 私はそんな時間がないので、とりあえず昨年『ラスベガスでCAT艇3位に入賞したエンジン』を予備にしていたので、 それに載せ換えて走行テストしたらと、冷静さを装い提案した。 それでも『走らない!!!』と悲鳴なような報告。 『エンジンは悪くない?』と彼の発言。そうか じゃ〜次は『私のペラ(スクリュー)』で試してと指示 今度は『よみがえった走り』で嬉しそうな顔つきになった。確認でちらっと見たら良く走っているじゃありませんか。パチパチ で本番の私のペラは・・・・まっいいかエントリーの数多いし、予備のペラでも・・・・・・と自分に言い聞かせた。 災難はYさんから今度は自分に伝染した。 私の今まで問題なく使っていたプロポが強いショックを与えると、電源が落ちる、ことが分た。 ごまかして走らせたいけどボート壊すのが怖いので、分解した。 すぐにはなかなか原因は分かりませんでした。 再組み立てして、バッテリーを引っ張ったリしていると症状が出る。 コネクダー? どこやろう、線はきれいにハンダ付いているし? ナント、ハンダ付け不良で、強く引っ張ると配線のつなぎが外れました。一見するとよく付いてる様に見えますが・・・ これでも無線屋でハンダ付けはプロ中のプロですが、 お恥ずかしい話です。 約3年間日本ではまったく症状が出ませんでしたが、レース期間中はいろいろなことが起こるものです。 会場でハンダの道具と電源を借り、無事修理完了。パフェクト。 時間がないのでジャンジャン走行テストしていると 今度はプロポ(操縦装置)のステアリングホイールから鈍い音(バッキ)衝撃が手に伝わった。 ステアリングホイールをセンターに戻す(ニュートラル)部品が壊れました。またプロポの分解です。クソ〜 センターリング装置のピンが破損していた。予備のプロポは持参しているが日本であまり使用していないので ホテルに帰り、センターリング装置を修理する決断をした。 とりあえず全員夕方には走れるめどが付いたので、8艇のボートを地元の方のトレーラーに預けてホテルへGoooo!!! 夕食は近くのく高級レストランでステーキ、ワイン堪能した。明日が私の誕生日での前祝いでとゆうことで60歳になる 以前は60歳は年寄りと思いっていたが自分が・・・そうなる時期に来たとは、早いです人生は。 修理方法は、まずピンの代用で同じサイズのネジを探し、千まい通しをコンロで焼、プラスチック製のピン土台に下穴掘り ネジを埋め込み装置を復活させ、再組み立て。 ハンドル(ステアリングホイール)を握り左右に回すと『いい感じ よし!』 キッチン付きの部屋で良かったです。 電波的には今まで使ったプロポの方が信頼性が高いので、これでレース本番の準備できた。 カロリー取りすぎたのでR君と私はホテルのジムへ、はじめて知りましたRくんは『怪力です』 画像のダンベル最初は真中を『ぴょい』 試しに私も持ったが重くてうまく上に上がりません。 次に彼は1番下の大きいのを軽々と『ぴょい』と持ち上げました。もちろん私のか細い腕では上がるはずは有りません。 4月25日(金曜日) サブタイトル:アメリカのクマモンと九州のクマモンのツーショット 11時までテスト走行できます。昼から我々のエントリーしていないクラスのレースが始まります。 夜明けとともに行動開始します。 朝の走行テストではなぜかKさん、Yさんはどん欲にテスト走行しません。 私はじゃんじゃんしてコース等の感覚もつかまないと前日から言っていましたが・・・・・ なんだか気圧の関係かKさんのモノ艇がでイマイチ時々止まる。YさんのCAT艇はOK、RくんもOK、私もOKです。 とても早い『ツイン リガー艇』がいました。Rくんは日本に帰ってツイン作るとか言っていた。 ツインクラスの出走前のピットでの会話の動画をYou tubeに載せました。クリックして英語のヒアリングの練習して下さい。 こんな感じでスタート前まではピリピリしていません。 総重量とか、いろいろ質問した。教えてくれ参考になりました。。 この日はエントリーしていないのでKさんの提案でK,Y,Rさん達はホームセンターへ、日よけ(サンシールド)を買いに移動した。 私はレースが終わればテスト走行できる可能性も有るので会場を離れなかった。 案の定4時ごろからテスト走行ができた、風対策で重りを積んだ状態の走り、プロポ、その他いろいろチェックを時間ぎりぎりまでした。 彼らは結局、目的のを購入できなかった。運転と通訳はYさんでした。 途中ぶつかりそうになったとか・・あまりにも右に寄り・・・Rくんが『ハンドルをぐぐっと押し』間一髪だったそうです。 彼らは午後の最後の走行テストのチャンスを逃しました。 もったいないと思うけど・・・ね 帰る道中、近くのスタンドで、ガソリンを2ガロン購入の出来事でした。 暗雲〜〜 初日YさんとKさんにオクタン価87番のを2ガロン購入してもらった同じ場所ですが・・・・ Yさんが店に行き支払いを済ませて 彼の持っているポンプノズルは1.8xxxガロンでストップしています。 『すでにオイルを入れているのでジャスト2ガロン入れなきゃダメですよ』と私は言った。 初日に同行していたKさんが、2ガロンはもう少しあったと携行缶を指差した。 そうすると店の人に『xxxxxxと言ったので勘違したのかもxxxx』と自分なりの分析でYが小さな声で言った それからなかなか行動を起こしません?。 えっこのまま帰るき? 車の中でその様子を見ていた私は、しょうがなく彼と一緒に店に行き 『俺達ジャスト2ガロンいるけど、2ガロンでません〜』と言ったら10セントよこせと言ったので差し上げた。訳判りません 再度ポンプノズル握ると『鼻くそぐらいの量が出ました』あたりまでですね10円分ですから・・・・ 最初の状況が分かりませんので私はもう1度交渉する気力がありません。本人も何も言わないし・・・・八方ふさがり それよりもっと嫌なことがこれで判りました。 私は初日、燃料の購入する時に、オクタン87を指示していたが、これも違っていた。とても重要なことです・・・ そこのガススタンドは86.88.91の3種類オクタン価のガソリンを販売していたので88番を購入していた。 なんだ〜!『私は会場でトップクラスの数人の選手にガソリンのオクタン価について情報集めたことが無駄に・・・』 もう頭がクラクラした。 あとで市内のスタンドの表示を見るとエルパソではレギュラーガスは86と87が有りました。 カルフォルニアは87がほとんどです。 ココは高地だし最適の燃料で勝負したかった。 この場合レギュラーガソリンの方が有利です2サイクルエンジンは。 そこになければ相談してほしかった。もう手遅れ前日からこれで全員調整しているので、もう今更変えれません。 次の日のRなんか、まだ前の燃料が入ってるので『誰か先に使て!』と言っていた。そうでしょう彼も真剣モードですから。 調子が悪ければ自力で他の燃料を調達するつもりですね彼は・・・ 少なくてもオイルの比率が変わるので嫌がっていた。 それより私は『希望のオクタン価燃料で走れない』ことの方が気になっていた。 今さら燃料廃棄しても、もう手持ちの2サイクルオイルが有りません。 会場で他から調達の方法も有るけど、よほどのことがない限り自分たちのミスでお願いはできません。 それは、『甘えすぎで選手として恥ずかしいです』。 あ〜と深いため息、正直『自分に嫌な気分になった』 燃料購入を依頼したのは自分だし・・・・・・・ 夜はホテルでウエルカムパーティーがあり、持参した『里の曙(黒糖酒)もみんなに振る舞い 私は向こうのテキーラーをいただきました。がぶ飲みした。 むこうのやつが『アーユーOK?』と聞くので『ノーOK』と答え、爆笑を誘った。 私を知っている人は来年あたり”H”が主催している『日本のガスレース』に行こうかと真剣に検討し始めていることが分かり 嬉しかった。 後は酔っ払って良く覚えていません。楽しかったよ。 Rくんは不調で先に部屋に帰った。悪いモノでも食ったようだった。なんでも朝のヨーグルトの相性が・・・ 4月26日(土曜日) 我のレース本番 え〜この日はG1(26cc以下)クラスだけで、モノ艇、CAT艇、スポーツハイドロ艇、アウトリガー艇戦います。 ピットマン(助手)は日本人同士じゃ面白くないので、なるべく外人さんにしてもらよう指示しました。 Rくんは1ラウンド目モノ艇?はスタート前にDQ(違反行為)もらい、回収命令も食らいました。まだヒート経験が浅いので それでもだんだん良くはなりましたが。 Kさんのモノ艇はなぜか途中でエンストで止まります。完走できません最後まで。 なんでだろう〜初日テストでは早った様に見えていましたが? YさんCAT艇は見ているともう少しで護岸に当たりそうな走行、無理も有りません初めての参戦ですからね 最後の方は完走狙いでだんだん良くははりましたが・・・ 風も相当出て昼過ぎには 砂嵐状態も時々有り、大変なレース日よりです。でも条件は皆同じですので最善を尽くします。 アメリカ人のピットマンとの組み合わせでもOKでしたよ。 レス終了後、Kさんの不調の原因は解らないので、調子の悪くない私のモノ艇のエンジンを降ろし そっくり彼のと載せ換え指示した。ただし 酒が覚めたころ深夜ホテルで預かった彼のエンジンを分解チェックどこも悪い所はないが・・・ ただシリンダーベースガスケット向きが反対でしたが、これで止まるとは考えられません。 明日、『彼のをエンジンを載せて私はオープンクラスで勝負する』決心をし寝た。 ”H”くんはG1リガー艇クラスで2位になりました、あとのモノ、CAT,スポーツハイドロは腕と焦りでダメでした。 この夜はメキシカンの料理屋で夕食会です。 この日はカルフォルニアのロジャー選手誕生日でお昼のランチタイムにハッピーバースデイーとケーキカットが有りました。 私は司会者のジェイにパスポートを見せ『俺も誕生日やき祝てっ!』と壇上に上がりアピールしたが、お前のは昨日やろうと言われ だれか知恵のある人はお前は日本だから2日前だよと親切に教えてくれた。 そのくらい解っているよと・・・・・ちぇっと しかしながら、 夜には夕食会場に大きなケーキが届けられてなんとHiroyuki(ひろゆき)文字が、私の為のハッピバースディをしてくれました。 うまかったよメキシカンはでも、 Rくんは『こんなんじゃ〜ステーキがまだ足らん』と追加で注文しペロリ、彼の食いっぷりはさすが大仏さんです。 4月27日(日曜日) レース最終日 この日はオープン(排気量制限なし)クラスの前日と同じクラスで出ます。 Rくんの大型リガー艇の出番が来ました。彼は朝から燃えています、やっぱり肉食うと違う見たい。 YさんのCAT艇は完走狙いで、 Kさんはやはり途中で止まります?Rくんのアドバイスで小さめのペラで次のラウンド走ります。 エンジンは調子よく回出したが、やはり途中いい所でエンジンストップ。なかなか完走できません。 会場でもちろんプロポの距離のテストもしたが、はっきりしたことは不明でした。 日本に帰ってきてKさんのボート走行不調の原因が徐々に解った。 1)5月5日熊本県での走行でボートを走らせると有る特定の方向でサーボの効きがおかしいし スロットルもおかしいのでプロポ(送信機)アンテナ交換で解消できた。 これは出発前に、私がKさんのボートの箱を少し移動している時に上に置いてあった4PKプロポを落下させた時の後遺症で その時『強く交換を勧めておけば』・・・本人は切れていないなら大丈夫じゃないと言ってた、予備のアンテナは彼の家に有た 2)5月6日の走行では、今度は受信機本体もおかしいと言った。 複合的要素がからみ原因の特定は簡単ではなかった、この日は。 この日の天気は強風で40マイルとの予報、アメリカ人に聞くと風は吹くがこんなに強いことはめったにないそうで・・・ 木に倒しかけていた私のスポーツハイドロ艇は強風で倒れた様子と、毛布を借りウエスタン調にして操縦した。 結構寒かったよ、異常気象でしょうね。 昼過ぎには、風がかなり強くなり救助、回収活動も厳しい状態になりレースは途中で中止とアナウンスされた。 Rくんは最後まで戦えば『俺が1位で大熊さんが2位』とほざいていました。ばかやろ〜そんなことはない。 第2ラウンドのオープンリガーで最高のコントロールが一瞬できたことも有りました。 スタート直後の第1ダーン(左側)で,少し出遅れた”H”が、ボートのスプレイ(水のカーテン)の中から←ほとんどブラインド状態 煙幕状態の左側出口は?・・すごいスピードで”H”が飛び出てきた、トップを奪っていました。 『会場から お〜uuuuuu !』と一瞬どよめきが起こりました。 ヤッター!『これがしたかった、晴れの舞台で』!! 私はボートコントロールスタンドで叫んだ『"H" is Good!!』と、はしゃいだのもつかの間 次の第2ターン(右側)入口で痛恨のブイカット『あちゃ〜やってもうた!』。1周多く走るペナルティー そこでしょうがなく『"H" is no Good!!』と自分で修正をした。いつものことですが・・・・とまあ結構楽しめた。 この日の入賞は、 オープン、アウトリガー艇クラス1,.2位日本人の表彰となりました。ワンツーフィニッシュ ”H”&Ryuji それとKさんのエンジンでオープン、モノ艇クラスで3位いただき。 我々全員には『1番遠くから旅した賞』を授与された。いろいろとご配慮ありがとうJay。 ホテルに帰りエンジン分解して帰りの準備しないと、その前に腹ごしらえ 空港方面でレストランを見つけて夕食メニューに写真が付いているので皆選びやすかった。ここがいいと3人。 アメリカのレストランメニューは文字で説明がほとんどで、画像付きは珍しい、その分ウエイトレスと会話を楽しみながら注文しています。 3人はジャンジャン帰りの準備始めた。 私は作業する場所もないので、明日やろうと先にシャワー浴びゆっくりと。あ〜少し疲れた 先に寝ます。 部屋は洗浄の匂いで強烈です換気扇回しても追いつきません。 特にYさんだけは明日の朝には帰国しますので余裕がありません。 一生懸命作業している彼に、両手も握り指立てお別れの『浣腸』をおみまいした。 『あっ〜u と小さなな悲鳴のあとで、古典的な手法を50年ぶり頂きましたxxxxx』といたって冷静でした。 その返しを聞いたRと私は思わず顔を見合わせ『ゲラゲラ』爆笑した。 これもいい思い出です。 彼のボートボックスもマジックでお別れの小さな”芸術作品”を書いけど、気に入らないみたいで速効消された。ガックシ 4月28日(月曜日) サブタイトル:駐車違反 目覚まし時計が鳴っているのに当のご本人は爆睡中、RくんがYさんを起こしにた。誰も気づかなかったら彼は帰国できていません。 空港には私が車で送り、車中でYさんに『いろいろ言ってゴメンネと、素直に詫びた。』分かっていますとYさん すいぶん、ここで書いていない暴言も浴びせたと、おぼろげな記憶・・・あるので 『全国大会の時のこと知っていますので・・・』と返答された。そうとう顔つき変わり運営していたので、カリカリ状態ですね。 今はだいぶんまともになっていますのでご安心を 今年の9月13.14日『第5回 全国Gパワーボートレースin九州』に皆様、来て下さい。 1階の搭乗手続きカウンターまで一緒に行きました。そしたら受付の一見綺麗そうな姉ちゃんが ボート箱の大きさがオーバーサイズと彼に告げ150ドル支払いにサインさせた。 それを見た私はダメ元で抗議した。 『毎回アメリカン航空使うがべガスでもNYでもそんな扱いをされたことはない』そしたらレギュレーションで決まっているとの1点張り そんなことは我々も知っている。『そうゆう場合も有りでしょうね、でもその人はその人で私は違う』、 もうこうなるとアメリカ人は引っ込みませんから、サインした時点で後の祭り。 内心『ファックユアーマザー』と叫びたくなった。 これ言っちゃうとセクハラで逮捕されますのでご注意ください。 外に出ると車寄せに止めてある私達の車のウインドーに黄色い紙きれが『駐車違反切符』や、やった〜 ガぁーン 係りの者に少し抗議したが支払方法を聞きバイバイ。<<お前は近くで見ていたやろう我々が荷物を出しカウンターに行っていることを しかもどう見ても外国人やし、カウンターに呼びに来い『え〜お客様駐車違反にりますけど、よいか』とか言ってほしいけどね>>、にいちゃん。 早朝から立ってる細身の黒人で彼も仕事してるので・・・私の認識不足ですね今回の件は。 ホテルに戻るとYさんが携帯電話を置き忘れているとKさんとRくんがロビーでうろうろ 彼は帰国後、すぐに仕事で会社に行くと言っていたので困ると思うとKさんが言った。 私は『もいいジャン、日本に帰ってから』と思ったが・・・3人で空港に車を飛ばし届けに行くことに決定したので、もう一度行くことに。 違反切符で頭にきていたので・・・・。 1番の問題点は『彼はすでに保安検査通過してゲート付近におるのでうまく受け渡しができるか、出来ない場合はどうするか』 確実な方法を係り員に言わなければ、運転中ず〜と無い頭で考えた。紛失、盗難のリスクも有りので・・・・ 今度は駐車違反取り締まり係りのあの人に緊急なんでどうしたらいいと告げると、この道をグルグル回れとさ。 Kさんに運転を任した。 私は携帯電話をとり一目散に走り、先ほど抗議した姉ちゃんに『俺のこと覚えている?』と一言。『リメンバーミー』 彼が忘れていたので『Yさんを呼び出してと頼んだ!』。いちよう拡声器で呼び出した『Yxxxxx』がすぐに来ないので、 もし彼が来ない場合は『我はハンプトンインに宿泊してるので連絡が欲しい。 それと我々も明日、7時の飛行機で帰国するのでその時に返却してくれ』と私の名前を記録させ、頼んだ。 日本だったら機内まで届けてくれるかもしれないが、エルパソではスマートフォンなどの高級タイプは無くなって当たりまえですので、 危険な賭けです今回の件は。 1時間くらいしたら、本人から電話が有り『大熊さん届けてくれたありがとう』の声。 よかった。 同じ日 どちらにしろ私はセブンイレブンに行き反則金の小切手(マネーオーダー)を作り指示されている郡の管理センターに投函しないと このまま日本に帰ると大変なことになります。レンタカーの名義人は私だし・・・ セブンイレブンではマネーオーダーは簡単にできましたが、宛先等書くのに不安でしたが声が大きいせいか、 店内の客様で状況が理解できた中年の白人女性が書き方を教えてくれて『投函場所のポストオフィスの場所』も教えてくれた。 『私は初めてチィケットをもらったことと、明日日本に帰るので今日中に済ませたい』思いを伝えていた。 とりあえず朝のバタバタは完了しました とゆうことで3人で観光に出かけことに ホテルの近くでトン汁ハウス(TNJ)見つけたのでそこでランチメニューを購入し、これは超美味いお勧めですココは。画像の左 テキサス州と、ニューメキシコ州の地図を購入したガソリンスタンドでお勧めの観光地は?と地元のカップルに聞いたところ 湖はどう?かと、オーそれにしょう。地図で場所を聞きアルバカーキー方面にGoooo!!! パワーボートのレンタルが有ればそれを豪快に運転しようと心は弾んでいましたがそのあと大変なことに。あわや逮捕か・・・・ テキサス州すぎニューメキシコ州入って砂漠地帯でインスペクション(検問所)のサインを発見、この辺りは不法入国者が多いので この道は押さえてありました。運転はKさんからRくん変わっていました、 彼は日本の運転免許証しか持っていません、運転がうまいので任せていたが法律違反はいけません。 そこでビールを飲みながら美味しい食事していた私が運転することに。 車を道路わきに止め、後ろの席のKさんに『ビール瓶を隠して!』と告げすばやく交代して直進した。 検問所では『シチィズン(市民)か?』と聞くのでいいえと答えた。そうしたら『あすこに車止めろ』と移動させられ 建物の中から防弾チョッキ装着の、武装取締官が5〜6人出てきて囲まれた。 私はパスポートとレンタカーの契約書を見せた、ビサは?と聞くので入国時のスタンプを見せ納得してもらった。 Kさんはホテルに財布忘れていたので車に置いていた彼の国際自動車運転免許証を見せたが、パスポートを所持していない・・・ Rくんはパスポート所持していないし、持っているのは漢字表記の日本の運転免許証だけ、見せたけどね一応。 彼らは調べるので待てと・・・・・・何度かRくんに生年月日と名前のスペルを聞いた。 どうも、『Rだけ入国の検索で引っかからないみたいな様子』。Rは英語がダメなので単独で連れ出されたらアウト! そうこうしているとKさんが『おしっこ』したいと外の簡易トイレへ行った、こちろん係官に告げてから で目的はと聞くので地図を見せながら『ココのビックレイクに観光に行く、明日我々は日本に帰国するのでラストデーなんよ』 ご勘弁を、お見逃し下さい、お代官様と懇願した。ずいぶん遠くまで来たので引き返したくありませんでした。 2人の担当官は顔を見合わせ『お前が決めろ』と譲り合い一人からこう告げられた 『本当やったらココでU−ターしてエルパソに帰らないかんぞ〜、次回通る時は許さんからな、今回だけ大目にみる』 さ〜あっちに行けと指差した。 ふ〜u 少し走りフリィーウエーのわき道に降りて残りのランチをとっていると、白い四駆が砂煙あげ私達の目の前を通り過ぎ 300メートル先の方で急激にスライドU−ターンした。 車には国境警備隊のサインが書いてあったので 『ヤバ!!!』 ヘッドライトを点灯したまま迫ってきます。 モースピードで私達の車の横を通り過ぎた。ひやひやした早く湖にGoooo!!! 探したけどパワーボートのレンタの場所は解らずじまい。感激はRくんが見つけたガラガラ蛇 多分対向車にひかれると言ったのでU−ターンして引き返し写真に撮った画像の右です。運転はRくんが え〜ただいま時速100マイル(160キロ)です。私は怖いのでシートベルトを腕に巻きつけ耐えました。 左画像のフリィーウエーわきのフェンスの向こうはメキシコです、よく見ると建物の違いがわかります。 帰りにエルパソのダウンタウンを散策した。画像は中央の所では歩いてメキシコに入れますが再入国出来ないでしょう。 最後に近場で最高のステーキハウス出くわし最後の夜を堪能した、どうこの肉焼き方いいでしょう。 私はホテルに戻り持って帰る部品等の詰め込みで,朝まで一睡もせず作業をする羽目に、遊びすぎました。 2人はベットで熟睡していた。 もちろん明け方はウォールマートに最後のお土産を買いに行くことも忘れなかった。積載量制限一杯に購入しましました。 Rくんはお土産買いすぎで『重量オーバーで58ドル払い』リミットまで詰め込んだ、次の段階は450ドル支払いので。 残りは洋服を沢山着込んで出国し、乗り込んだら脱ぐ作戦を立てた。 さすがクマモンですね。 4月29日(火曜日) 早朝5時前にホテルを出て、空港で帰国のチェックイン? 我々3人とも手荷物のオーバーサイズのチャージはなし、まっ当たり前と思うけど 事前にRと打ち合わせして、もし言われたら、Tシャツに書いてある自閉症の募金レースを見せ、日本から来たとアピールする作戦 その為Tシャツ着用した。『貴方が追加料金と決めればエルパソ市長に報告する』とかいろいろと手は有ります。 このサイズで取るのは異常です。あのバカ女が居なかったのも幸いした。 ダラス空港経由で成田へ、私は一睡もしていないので待ち機内で爆睡、気が付けば日本到着した。 成田では接続時間が長いので、また胴元を引受、3人でブラックジャック 胴元の負けとなり、すし屋で『冷酒と刺身の盛り合わせで7,300円位支払う羽目』に ガッテム。 少し経つと小腹がすいてきたのでRとカレーライス食べにgooo~u、 Kさんは冷酒で酔っ払い先に出発ゲートで爆睡していた。福岡空港に着いたのは夜10時ごろでした。 おわり 糖尿病の私がこんなことでは先は短いのでは・・・・・でも、もう少し生きているうちに楽しまないとね。 2014年5月7日書き上げました。 ひろゆき Hiroyuki("H") |